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1「ハローサマー、グッドバイ」

twitter読書会キンドルワークショップの報告記事もまだ書けないままで申し訳ないです。
そっちはちょっと待ってくださいね。近いうちに絶対書きます。
まず、この書評ブログを始めたら絶対書こうと思っていたので、放ったらかしの宿題を片付ける気持ちでやってしまいます。

読んでくれれば「何故?この小説の書評を最初に持ってこないといけなかったのか?」が分かると思います。(分かってもらえるよう頑張ります。)

あ、あとネタバレをめちゃくちゃ含んでますので、読んでない人は買うか、友達に借りるか、このブログの記事だけを飛ばすかをオススメします。

小説「ハローサマー、グッドバイ」はマイクル・コーニイという作家の1975年の作品。
日本だと80年代に「サンリオSF文庫」っていう今では廃刊になってしまった文庫で出版されていたのだけど、
2008年に河出文庫で復活した。(今でも少し大きな書店なら置いてあります。)

え?なんで40年前とかそんな大昔の作品が一年前っていう最近になって復活したの?って思うだろう。
この「理由」については、僕なりに用意したひとつの「答え」がある。

まず、作品冒頭の「作者より」の後半を引用。
『(この小説は)恋愛小説であり、戦争小説であり、SF小説であり、さらにもっとほかの多くのものでもあるーすなわち、わたしがそう望むとおりのかたちのままではなくなってしまうからだ。』

これは、こう言い換えることもできるだろう。この小説は「さらにほかの多くのもの」であるから、「さらに他の多くのもの」はこの小説にすべて収まっているとも。つまり、小説の「全て」であるとも。

ともかく、ストーリーに踏み込む。

ストーリーは、主人公の少年、ドローヴが夏季休暇を政府高官の父に連れられて港町パラクーシを訪れるところから展開していく。ドローヴは幼なじみの女の子、ブラウンアイズと再会し、バラクーシで出会った人たちと交流や冒険をしていく内に、この街を包む不穏な影に気づいていく。やがて、隣の国と戦争をする気配が街を包んだ時、ドローヴにはこの世界の「仕組み」が明かされ、ブラウンアイズとの関係も大きく変化していくことになる。


という具合に、物語は先程も述べたようにあらゆるジャンルを複合しているため、物語の細部からそうしたジャンルの断片を一つ一つ確かめて、それらの諸要素を吟味するのも面白い読み方だ。

だけど、今回はあえてそれをしない。いきなり重要なラストからはいっていこう。

この作品の世界の「仕組み」、それは細かい説明は省くけど、この一文を引用するだけでも分かるだろう。

文庫版p333「来る年も来る年もラックスが空に冷たく輝き、フーが星々のあいだの小さな点となっているところを想像して、身震いした。」

主人公たちが住んでいる星に40年にも及ぶ冬が到来し、生活は愚か、極寒の寒さの中で人々は死んでしまう。
ドローヴは政府高官の父からブラウンアイズたちと引き離されてしまい、要塞のように極寒から身を守る収容地に入れられてしまう。柵越しにドローヴとブラウンアイズは愛を語らい合うが、やがてそれも叶わなくなる。ブラウンアイズや住民の姿は消えはじめ、寒さはいよいよ厳しさを増す・・・。

しかし、この悲劇は最後、悲劇で終わらない。その最大の要因はロリンという物語の冒頭で登場する動物だ。この動物に捕まえられると、たちまち眠りにつくことができるが、その間に感じる時間感覚はゼロになり、時間が過ぎたという感覚もなくなるという特徴がある。そして、ドローヴは一度ロリンに救われた記憶から、彼らを信じる。ブラウンアイズの姿を想像し、目を覚ましたとき彼女に会えることを夢見ながら、身をゆだねるところで物語は終わる。

大切なのはこの世界からの「脱出」にある。ドローヴは今の時間から「脱出」することによって、世界の仕組みから逃れることができたことだ。

一方要塞にもぐった人々はどうなるか?
p367「不器用すぎるし、利己的すぎる。それに、たとえもし、なんらかの奇跡で生きのびたとしても、太陽にふたたび顔を照らされるとき、やつらは歳をとっているわけだ。おそろしいほど歳をとって地表に這い出してきて、安堵の涙を流す。そしてやつらの子どもたちもまた、子ども時代を体験しそこねていて、帆に風を受けて船を走らせたことも、雲を眺めて時間を過ごしたことも、グルームに乗ったことも、いちどとしてない、そんな人間になる。やつらこそが敗者なのだ。」

つまり、「守備」したことで、「やつら」は世界の変革に耐えられずに消えていく。


さて、材料は出揃った。ここから小説外のまさに今生きている現代に話を戻そう。

この小説「ハローサマー、グッドバイ」は40年間の歳月をまさにトリップして現れたのかのような小説だった。
まるで、ロリンの体に包まれて、時間移動を果たしたドローヴのように。
まるで、「世界の仕組み」が重要であるSFというジャンルからこの作品が飛び越えたように。

そう、この小説自体もまた「脱出」したのだ。そして現代に河出文庫という形で再び目を覚ました。
なぜなんだろう?なぜ現代の2000年代に入ってから、この小説は再び目を覚ましたのだろう?

今、小説って読まれてる?ってかブンガクって読まれてる?
そりゃ村上春樹は売れているし、現代の小説って面白い。むしろこの10年間は豊穣だったんじゃないのっていいたいくらい面白い作家とか、ジャンル問わず出てきた。

でも、出版社は潰れてるわけだし、雑誌は廃刊になってるし、小説だって、特にブンガクは残念ながらアニメや漫画にはずっと(お金的な面で)負け続けてる。

出版不況は冬の時代のように例えられ、その「寒さ」を恐れている行為はまるで、あの小説の「要塞」に閉じこもったひひとたちの行為のようだ。何かが変わることを異常に恐れている。

現実的に「寒さ」に耐えるのは厳しい。そんなことはわかっている。じゃあ、「寒さ」から身を守るのでなく、「寒さ」を乗り越える=脱出する装置が必要じゃないか?そう、ロリンみたいな。

なぜ、小説の「全て」だった「ハローサマー、グッドバイ」が現代に蘇ったかのか?
これは現代の全ての「小説」への祈るようなメッセージだ。
「脱出」をしようっていう。


じゃあ、脱出する装置について考え・・・

ちょっと待って。まずその前に一度振り返って「ブンガク」にサヨナラしておこう。
とりあえず、世界の形が変わった後、もう一度「ブンガク」に会えるかは分からない。
だけど、一度「ブンガク」にさよならして、一度全部フラットな状態、ゼロにして、
1から考えよう。

「そもそも小説ってどうして面白いんだろう?」
「どうして僕らは小説を読んでいるのだろう?」

このことを話し合える場をもっと作れるはずだって思う。
例えば、ツイッターでもいい。
例えば、地域のコミュニティでもいい。
小さな集合であっても、現代は「つながり」を手に入れることができる。

そこから考えて、前進しよう。

ロリンだってきっと「話し合いの場」にこそっとやってきて、僕らを知らず知らずに「脱出」させてくれるかもしれない。

ロリンは人なつっこい動物だから・・・。
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プロフィール

ゆりいか

Author:ゆりいか
ゆりいか クーデレのボクっ娘。本が大好き!お兄ちゃんボクにもお話聞かせてよ!!

(中の人) 大学生 男 二十歳 読書会やらいろいろ活動してます。 

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